ワタナベです。 今いただいた反論にて、よしのぶさんのお立場、お考えが理解出来たつもりで す。以下は私の読解力に無さによる誤解によるものかもしれません。 よしのぶさんの投稿では、「もちろんリコーは著作権を主張できます。」と あって 「また、企業は利益のためには、いくらでも不当な主張をしてきます。」 (省略) 「消費者契約法 (消費者の利益を一方的に害する条項の無効)」 となっているので、"リコーやMSといったベンダーは、権利があるのでそれ をたてに不当な主張をするが、 こういう法律があるので信義に従い誠実にし てくださいね" とおっしゃってると受け取れました。 さらにその前に「言うなれば、『使用権』という私企業の微々たる利益のため に多大な社会的損失が生じているのです。」とか「これらの契約は、消費者側 には選択権はなく、事実上、企業側の言いなりにならざるをえず、企業側が一 方的に有利な状況で締結されるのです。」との文により、企業の不当性を強調 されているのだと解釈いたしました。 なので、一方的だと受け取れたことに対して、先のような発言となりました。 バランスについておっしゃているのは今わかりました。 東風フォントに関しても、よしのぶさんに対する意図はありません。 yoshinobu syouzi <yoshino@xxxxxxxxxxxxxx> san wrote:> > ワタナベさんは、著作権による権利と契約によって生じる権利とを混同して > いませんか? 自分は区別しているつもりです。どっちが有効でどちらかがダメとか優先とか は適用される法律、裁判での判断根拠により左右されることを理解してるつも りです。そしてそれはあくまで裁判になった時の話で、現時点はSCO問題のよ うにMSがどこかに圧力をかけてはいませんから、MSの契約条文がどうとか言っ ても始まらないと思い、むしろ"著作権も意匠権もないってどういうこと?"と いう疑問が先立っているわけです。 実際にMSが営業なり裁判などで、Linuxコミュニティに圧力をかけてきたなら ば、他の方が精査されているようにどこの条文がどうとかが武器になると思い ますが、現時点ではよしのぶさんのおっしゃるように"信義誠実の原則に従う べき"段階で、それは"MSは強者だから"とか"条項に漏れや不備がある"とか と強調することなのかなぁ、というのがくそ長ったらしい発言の動機です。 > かりにフォントに著作権が認められないのであれば、物権(契約がなくても > 主張できる権利)は法定される必要があるので、現状、その「敬意」に物権 > 的効力を認めるのは無理があるでしょう。世の中に物権で保護されるている > ものは、そう多くはありません。ゆえに企業側は、様々な契約をもって自己 > の権利を守ろうとしているわけです。また、損害賠償の請求権は成文法によ > らないというのが通説なので何も残ってないというわけではありません。 おっしゃるように著作権が認められないならば、というか後述しますが、すで に裁判では認められない状況だからこそ、信義誠実の原則に従って「敬意」を はらうべきでは、さらに言うと物権的効力がないならば「敬意」ぐらいしかな いでしょう、というのが私の考えです。 そうでないと、MSフォントに限らず他のフォントや、フリーウェア全般につ いても、いちいち法律的にはどうでなくてはいけないとか、国ごとの違いがあ ってどうとかとなって成り立たなくなるのではないでしょうか。 シノバーさんご紹介の"公有フォントの利用と制作のための参考情報"中にある “ヤギ・ボールド”事件は"東京高裁 昭54(ネ)590号、昭58年4月26日判決"の リンクが切れてますが、見つけました。 http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/72D04F8A7CC9F27949256A76002F8B6A/?OpenDocument ここでは、長いですが引用しますと、 「図案などについては、著作権制度、工業所有権制度双方の利点を取 入れた別個のより効果的、合理的な保護制度の検討が必要であるが、右の調整 措置の法制化が困難である場合には、今回の著作権制度の改正においては、著 作権法による保護の対象を、実用品自体については、美術鑑賞の対象たりうる いわゆる一品製作の美術工芸品に限定することとし、量産される実用品は、そ れが美的な形状、模様あるいは色彩を有するものであつても、著作権法による 保護の対象とはせず、図案などについては、将来において、効果的な保護の措 置を検討すべきものである旨述べられている。」 (省略) 「 そして、右の立法過程において期待された著作権法と意匠法など工業所有 権制度との調整措置が現在なお実現されていないからといつて、著作権法につ いての右の解釈を変更することはできない。けだし、意匠法などを含む工業所 有権制度における調整措置なしに、著作権法による保護の対象をひろげること は、これまで意匠法などを基調として確立されてきた工業所有権制度内の法的 秩序を大きく乱すことになるからである。」 という理由において、フォントの著作権は否認されています。 また"参考情報"ではリンクが切れている最高裁の判例もみつけました。 http://www.netlaw.co.jp/hanrei/insatu_1.html こちらについては高裁の判決文と比べるとなっとく行かない点がありますが、 どちらにおいても創作性の有無とは別に、"実用を目的とした成果物であるか らこそ、長期間の排他的な権利である著作権の適用は不適切である"、という 理由は私的に納得いくものでした。使ってこそ使われてこそ価値があるとのこ とで、書いてないから認められない、という機械的で非文化的判決でないこと に安堵しました。 となるとどのようなルールの下に使う使われるのかという課題がありますが 、ヤギ・ボールド事件判決では"工業所有権制度にて"と提起されており、 一方で日本タイポグラフィ協会からは著作権法にてと対立しており、それ がどの程度大きい原因なのか判りませんが、とにかく空白となっているのが現 状だと判りました。 したがって、だから空白に乗じてユーザーは使ってもいいんだというスタン スは、自戒も含めて好ましいスタンスではないなぁと思います PS:長いのはこれっきりにします。 -- Digital Imaging, Contents, Solution & Engineering Kazuhiko Watanabe :: navkaz@xxxxxxxxxxx GNOME-2.5 on Vine-2.6 http://www.deltahf.com/gnome2/